ソフトウェア的延命法

 人の生きているという定義は、ハードウェアかソフトウェアかという二つの視点で捉える事が可能だ。

 ここで言うハードウェアとは、人を構成する肉体、特に脳の事を指す。

つまり、脳が生きている事が絶対条件だ。多くの細胞は早くて数週間、遅くても数年で入れ替わる。心臓や歯は入れ替わらないが、別に人口の物に変えても死にはしない。

しかし脳はどうだ。脳の神経細胞も細胞分裂ではほとんど入れ替わらない。そこには神秘性がある。ブラックジャックみたいに脳の移植をした者を同じ人間とは呼べない。

 以上がハードウェア的視点による命の定義だ。

これに対し、例え脳の移植をしたとしても、その人の人格と記憶がオリジナルから連続性をもって引き継がれているのなら問題無いのではないか?というのがソフトウェア的視点である。

記憶と人格はそのまま継承されているので、外見でその人の違いを見つける事は出来ない。本人でさえ、自分が入れ替わったとは教えられないとわからないだろう。

 このソフトウェア的視点が許されるなら、人は事実上の不老不死を実現出来る。

自分の肉体が老化したら、新しいクローンに更新すれば良い。記憶と人格さえあれば良いので、いっそ、コンピュータの中でオンライン生活をしつつ、いろんな国のサーバーに自分のバックアップを保存しておけば、いざという時に簡単に復活も出来るだろう。地球がダメになった時の脱出も、肉体がある時の何倍も楽だ。コンピュータの性能にもよるが、うまくやれば人体よりも圧倒的に軽くて小さいプロセッサになるかもしれない。何より、食べ物もトイレもベッドもいらない。

そういったコンピュータを太陽系の比較的安定した惑星の地下にでも埋めておけば、いざという時の脱出もメール送信で済む。

ソフトウェア人間の行き着く先
『2001年宇宙の旅』©1968 Turner Entertainment Co. All rights reserved.

 しかしこう考えるとどうだろう。

 日本からブラジルに行く際に、ブラジルに自分のクローン人間を準備しておき、そこに日本にいる自分の記憶と人格をスキャン及びメール送信する。この時、日本にいるオリジナルはスキャンされただけなので、まだ元気である。しかし人権は一人につき一つしか認められないので、日本にいるオリジナルの自分は処分されてしまう。だけど人権と一緒にブラジルに送信され目覚めた人は、主観的には何の問題も無くワープしたように感じるだろう。

一方、日本にいる本人としては、ブラジルにメールを送信したら殺されたようなものだ。

このドアを出た個体は果たして同一人物なのか・・・?
出典:藤子・F・不二雄「ドラえもん」より

 このように書くと、ソフトウェア的視点は荒唐無稽のように聞こえるだろう。

だが我々は、現に色々な方法でソフトウェア的延命法を試みているのではないか。遺伝子はその典型的例の一つだ。これは主観的なものの見方だが、細菌や単細胞の行動原理は、個体の保存よりも遺伝子の継承の方が優先度は高いように見える。虫の中でも、生殖のために死ぬタイプがいる。我々人でさえ、子供を作るという事は、死にたくないという自分の気持ちの表れではないのか?

 自分が死ぬ前に何か残さなきゃという気持ちは、実にソフトウェア的である。何か事業を継承させる、本を書く、映像を撮る、他人に自分の事を覚えてもらう。これらは、ソフトウェアとして何かしらの形で継承された自分自身だ。

これらの方法は、完璧に自己を継承する事は出来ないが、少なからずの継承は可能だ。

この僕の書いているブログも、そのようなソフトウェア的延命法の一つかもしれない。

ソフトウェア的延命法の一例

 現代は、ソフトウェア的延命法が実に多様な形で可能だ。みんなも色んな方法でソフトウェア的延命法を試してみよう。